主治医から復職可能な診断書があるにもかかわらず、正しい手順を踏まずに退職へと追い込む産業医が問題となっています。こうした産業医は「ブラック産業医」と呼ばれ、従業員からすると「会社の産業医は社員の敵」「産業医は会社とグル」といえるでしょう。
「ブラック産業医」の存在は数年前から問題になっており、従業員が訴訟を起こしたケースもあります。「ブラック産業医」とはどのような存在なのでしょうか。
目次
「ブラック産業医」とは
ブラック産業医とは、会社と従業員との間で中立的な立場であるべき役割を果たさず、会社とグルになって会社よりの意見書を提出する産業医のことをさします。具体的には、メンタル不調などを患ってしまい休職になった従業員に対して復職してほしくないと会社が判断する際、産業医に依頼して「復職不可」の意見書を書かせて自然退職ないし解雇としてしまうケースがあります。
従業員の復職にあたっては、主治医の診断書と産業医の意見書によって会社が判断します。主治医の診断書は、疾病および日常生活での安定性を診断するもので、産業医の意見書は、職場復帰後の業務遂行の安定性を判断するものです。
ブラック産業医は、たとえ主治医から「復職可能」の診断書があろうともきちんとした手順を踏まずに会社のオーダー通りに意見書を提出します。こうした従業員の敵ともいえるブラック産業医が数年前から問題となっているのです。
休職中の従業員の中には会社に来ることもやっとできるレベル、すなわちほとんど会社に寄与しない段階で「復職可」の診断書を主治医からもらってくる従業員も存在します(特に満期退職が近い場合にそうした傾向は強くなります)。
そういったケースは本人に払う給与だけでなく、サポートする周囲の時間や労力が大きくなり、生産性も職場の雰囲気も悪くなってしまうことから、会社側は「復職不可」の意見書を用意して出来るだけ自然退職へと向かわせようとする企業は少なくないようです。
しかしながら、産業保健の目的は「人と仕事の調和」であり、産業医には「独立性と中立性」が求められます。産業医は従業員の味方でもなく、会社の味方でもなく、純粋に医学的な観点から意見を述べるのが仕事です。
「復職可」の診断書を主治医からもらってくる従業員に対して、会社と従業員との間で中立的な立場にたって、役割を果たさなければなりません。復職にあたって、こういった仕事をさせると無理なく働けるとか、残業が45時間を超えると心身を壊す恐れがあるのでそれ以下にしましょうといった意見を会社側に提示することが主たる役割であるのです。
そもそも産業医とは労働安全衛生法13条で定められた医師です。50人(アルバイト、パートタイマー等を含む)以上が働く職場には必ず選任する必要があり、労働者の健康管理等を行うために存在します。産業医は月に1回は職場を見て回り、健康診断結果をチェックし、労働者の健康被害が生じないかを多角的に検討したうえで会社に意見するのですが、前述の「復職可能・復職不可」の意見書もこうした活動の一環となります。
会社と従業員との間で中立的な立場にたって、従業員が健康的に働けるように、指導・助言を行うことが産業医の仕事です。したがって、ブラック産業医が作成した会社側の一方的な考えや意向のみを反映させた書面は無効とされるべきですし、あってはならない行為といえるでしょう。
「疾病性」と「事例性」
前の章で、従業員の復職にあたっては、主治医の診断書と産業医の意見書によって会社が判断し、診断書は、疾病および日常生活での安定性を診断するもので、意見書は、職場復帰後の業務遂行の安定性を判断するものであることを述べました。
この章では、企業における健康管理という視点から「ブラック産業医」について考えていきましょう。
会社が従業員の健康管理を行う上で重要な2つの言葉があります。それは「疾病性」と「事例性」です。「疾病性」というのは病気そのものや、患っている状態のことを指します。主治医のみが診断・治療を行うことができ、産業医は行うことができません。
一方、「事例性」とは疾病の結果、「仕事がうまくいかない」「欠勤が多い」「周囲とトラブルを起こす」など、仕事を遂行していくことが困難になっている客観的事実を指します。産業医、そして人事労務を含む会社にとって重要視すべきなのは疾病性ではなく事例性です。
産業医は、疾病を抱えた従業員の事例性を少なくするために解決策を本人と職場に提示します。そのためにわからないことがあれば職場へのヒアリングや、主治医への問い合わせなどを行います。少なくとも復職不可といった意見書を書く場合は会社、本人、産業医の意志疎通がきちんとできている段階で実行される必要があるのです。
そうした手順を踏まずに、一方的な対応を行った結果、従業員側が訴訟を起こし、勝訴に至った裁判例 があります。精神的不調の状態にある二人の従業員が主治医から「復職可」の診断書をもらい会社に提出しましたが、産業医は「従前の職務を通常程度行える状態にある」とは認められないとして復職不可の意見書を提出、その意見書を根拠に会社側は復職を認めなかったという事例です。
結果として自然退職扱いになった従業員らが地位確認等を求めて起こした本訴訟は従業員らの勝訴という判決が下されています。産業医に必要なのは産業医学の知識と、疾病性と事例性を分けて考えられる力、主治医・本人・職場・家族など多方面と協調して最も良い落としどころを探る力です。
こうした作業は時間や手間が膨大にかかりますが、しっかりとした工程を踏むことが重要であることは言うまでもありません。働き方改革関連法により2019年4月1日から産業医 ・ 産業保健機能が強化され、産業医の独立性・中立性が法律に明記され、身分の安定性を担保するために産業医の辞任又は解任時には遅滞なく衛生委員会等に報告することが事業者に義務づけられました。
企業の健康経営の必要性が高まる中、産業医学の専門的立場から労働者の健康管理等を行う産業医の役割は今後ますます重要になるでしょう。「ブラック産業医」という言葉が使われなくなる日も、そう遠くはないかもしれません。